もう一人の自分

日本に帰化して約20年。 日本国民の一人として普通に暮らしていますが、元在日として思うこと、あれこれいろいろ。

2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

叔父と北朝鮮帰国事業

私の母は7人兄弟の長女で、7歳上に兄が一人いました。 私にとっては叔父ということになります。 叔父は日本の小、中、高校を卒業後、大阪の公立大学に進学しました。 母によると、叔父は大学生になった頃から共産主義に深く傾倒し、 総連の前身組織である…

私の祖国

私の祖国は日本です。 ただ、自分の祖国を日本と思い定めるまでには、いろいろと悩んだ事もありました。 祖国。 そんなことを意識するようになったのは、中学生から高校生にかけての時期です。 私は中学生の頃、祖国とは自分の先祖の国を指すものだと思って…

中学校で始まった民族教育

私は両親から民族教育と呼べるような家庭教育をほとんど受けていません。 「民族の誇り」 在日朝鮮人からたまに聞く言葉ですが、 私は、その民族の誇りというものを親から教わった記憶がありませんし、 民族に対する誇りというものを強く意識したり感じたこと…

私の名前

私の名前は両親が考えてくれたそうです。 朝鮮人の名前の付け方には独特の規則があり、 また使用できる漢字も日本と異なりますが、 私の名前は、日本人によくあるような、ごく普通の日本式の名前です。 私は、生まれた時から通名で育ちました。 名前は本名そ…