もう一人の自分

日本に帰化して約20年。 日本国民の一人として普通に暮らしていますが、元在日として思うこと、あれこれいろいろ。

私の名前

私の名前は両親が考えてくれたそうです。

朝鮮人の名前の付け方には独特の規則があり、

また使用できる漢字も日本と異なりますが、

私の名前は、日本人によくあるような、ごく普通の日本式の名前です。

 

私は、生まれた時から通名で育ちました。

名前は本名そのままなので、苗字に通名を使用していたことになります。

幼い頃、いつからか自分の本当の苗字も知っていたはずですが、

本名を名乗る機会も少なく、日常生活ではほとんど通名で暮らしていたので、

私にとって、自分の名前は通名でしかありませんでした。

 

中学生の頃、父親に自分の名前の朝鮮語での発音を尋ねたことがあります。

「パギリ」

朝鮮語では私の本名をそう呼ぶことを初めて知りました。

しかしながら、20歳の頃、教習所で知り合った朝鮮高校の卒業生から誤りを正されます。

「パイル」

これが私の本名の正しい発音だとのことです。

そして別の機会に、更に別の朝鮮語を話せる人から発音を訂正されます。

「パッイル」

私の本名の「パ」に、少しだけアクセントが加わりました。

ところが24歳でパスポートを取得したところ、名前欄には「Bak Il」と記載されています。

「バクイル」

朝鮮語が話せない私には、自分の名前すら正しく発音出来ないのかも知れません。

そして、アメリカでこのパスポートを提示した時には、こう呼ばれました。

「バッキー」

何だか私の本名がアメリカ人っぽくなりました。

 

こうして 私の本名はどんどんと進化を遂げていきますが、

最終的には日本国籍を取得。

そしてずっと使ってきた通名が今の私の本名となりました。

生まれた時からそう呼ばれ、名乗る時にもそう名乗っってきた、

私が馴染み親しんできた名前です。