もう一人の自分

日本に帰化して約20年。 日本国民の一人として普通に暮らしていますが、元在日として思うこと、あれこれいろいろ。

2013-01-01から1年間の記事一覧

在日で少し残念だったこと

私は地元の公立中学校を卒業したあと、公立の高校に通うことになります。 3年間、ごくごく普通の学校生活だったと思います。 高校に入学して間もなく、私はラグビー部に入部しました。 どこかの運動部に入ろうと決めていたのです。 その頃、大阪の高校ラグ…

叔父と北朝鮮帰国事業

私の母は7人兄弟の長女で、7歳上に兄が一人いました。 私にとっては叔父ということになります。 叔父は日本の小、中、高校を卒業後、大阪の公立大学に進学しました。 母によると、叔父は大学生になった頃から共産主義に深く傾倒し、 総連の前身組織である…

私の祖国

私の祖国は日本です。 ただ、自分の祖国を日本と思い定めるまでには、いろいろと悩んだ事もありました。 祖国。 そんなことを意識するようになったのは、中学生から高校生にかけての時期です。 私は中学生の頃、祖国とは自分の先祖の国を指すものだと思って…

中学校で始まった民族教育

私は両親から民族教育と呼べるような家庭教育をほとんど受けていません。 「民族の誇り」 在日朝鮮人からたまに聞く言葉ですが、 私は、その民族の誇りというものを親から教わった記憶がありませんし、 民族に対する誇りというものを強く意識したり感じたこと…

私の名前

私の名前は両親が考えてくれたそうです。 朝鮮人の名前の付け方には独特の規則があり、 また使用できる漢字も日本と異なりますが、 私の名前は、日本人によくあるような、ごく普通の日本式の名前です。 私は、生まれた時から通名で育ちました。 名前は本名そ…

私の国籍と戸籍の変遷

私が生まれた時、私の家族の国籍は「朝鮮籍」でした。 そして私が14歳の時、家族揃って全員で「韓国籍」に変更することになりましたが、 私にとっては「朝鮮籍」であっても「韓国籍」であっても、 それで何かが変わったという訳ではありません。 23歳の頃、友達…

日本人とか在日とか関係なく地元のツレ

私が生まれ育った大阪の西成。 全国から日雇い労働者の集まる街として有名な地域です。 私の地元は同和地区を含み、在日朝鮮人も数多く居住していました。 私が通った中学校も同級生の2~3割程度は在日朝鮮人だったと思います。 そして私の通った中学校で…

傷つき悩んだ思春期の頃

私は今までに、朝鮮人ということで面と向かって差別されたことは一度もなかったと思います。 ただ、朝鮮人は日本人から蔑視されているという事をいつしか感じるようになります。 小学校低学年の頃。 「軍艦!沈没!ハワイ!」の軍艦ジャンケンですが、 当時、…

子供の頃の朝鮮人としての自覚

物心ついた頃から、両親から何度も「朝鮮人やで」と言い聞かされてきました。 幼い頃、何人という意味も理解していなかった頃、 「イヤや!朝鮮人より地球人の方がいい!」って泣いたのを覚えています。 幼稚園の頃には、「自分は朝鮮人」と言うことはちゃんと分か…

幼少期の記憶

自分の記憶をどんどんと遡っていく。 妹が生まれた日のこと。 四畳半の部屋で父に絵本を読んでもらっていたと思います。 隣の部屋が何だか騒がしく、戸を開けて覗いて見ると、 助産婦さんが母から妹を取り上げたところでした。 薄っすらとした記憶ですが、ち…

私の誕生

日本で暮らす父と母は親戚同士の紹介で知り合い結婚。 そして長男として私が誕生します。 終戦後14年。 サンフランシスコ平和条約締結後7年。 まだ日韓国交正常条約すら結ばれていない時代です。 両親は私が生まれて間もなく大阪西成の平長屋へ転居。 私…

母の祖父母達は北朝鮮へ

私の母方の祖父母も済州島出身です。 祖母は孤児に近いような境遇で大変貧しい幼少期を過ごしたそうですが、 1920年代半ば、13歳の時、単身で日本に渡ってきました。 大阪へとやっては来ましたが、往く当ても無くお金も持たず、 路上で行き倒れになっ…

父方は戦後の密航で再度日本へ

私の父方の祖父母は朝鮮の済州島出身です。 祖父は1920年代半ば、10代で日本へ出稼ぎにやって来たと聞いていますが、 神戸の長田でミシン縫製の仕事をしていたと聞いています。 祖父は済州島へ帰郷した時に結婚。 夫婦で来日して、私の父が誕生したの…

渡日から日本永住まで

朝鮮人である私が、何故、この日本で生まれたのか? それは約90年前に私の祖父母達が朝鮮半島から日本へやって来て、 そしてこの日本で代々と暮らしてきたからです。 では、何故、日韓併合時に祖父や祖母が日本に渡航してきたのか? そして、何故、戦後も…

朝鮮人として生まれ、日本人として暮らす今

幼い頃、両親から「オマエは朝鮮人やねんで」って何度も言い聞かされていたような記憶があります。 朝鮮人としてこの日本で生まれたこと。 日本で生まれたけれど朝鮮人であること。 その事実だけは、まだ幼い自分の胸の中にしっかりと刻み付けられたような気が…

序章

在日朝鮮人として日本に生まれたこと。 そして日本人として生きていく道を選んだこと。 そんなこと、あんなこと、これから少しづつ綴ってみます。