もう一人の自分

日本に帰化して約20年。 日本国民の一人として普通に暮らしていますが、元在日として思うこと、あれこれいろいろ。

在日で少し残念だったこと

私は地元の公立中学校を卒業したあと、公立の高校に通うことになります。

3年間、ごくごく普通の学校生活だったと思います。

 

 

高校に入学して間もなく、私はラグビー部に入部しました。

どこかの運動部に入ろうと決めていたのです。

その頃、大阪の高校ラグビー部なら、どこでも3つの大会を目指していました。

春の近畿大会。

秋の国体。

そして、最終目標は正月の花園、インターハイ出場です。

 

高校2年生の春休み、

私たちの高校は何とか大阪代表の4校として、

近畿大会出場を果たすことが出来ました。

そして高校3年生に進級するとともに、

次は国体予選に向けての練習です。

 

ほどなく、監督から国体に向けての新たな布陣が発表されました。

私と後輩の二人がレギュラーから外れ、新メンバーを組むとのことです。

私はともかく、その後輩がレギュラーから外れるのは意外な事でした。

その日から私は、レギュラーメンバーの練習台としてチームを支えることになります。

 

ある日、その後輩から声をかけられました。

「先輩も在日ですか?」

「え?そやで、在日やで」

「在日は国体に出られへんですね」

「え~っ?そうなん?在日って国体に出られへんの?」

二人でボソボソとそのような会話をした事を覚えています。

 

私、国体が日本国籍者だけの大会だってことを、その時初めて知りました。

今は在日外国人であっても国体に出場資格が与えられているそうですが、

当時は、外国籍の者は国体に出場することが出来なかったのです。

 もちろん、外国籍の者は予選大会の出場資格もありません。

 

もうその頃の私は、自分が外国人であることの自覚も出来ていましたし、

在日だから国体に参加出来ないって事に関しては、

さしたる特別な思いもありませんでした。

国体、そう、それは国民体育大会だからでしょ?くらいの気持ちです。

ただ単純に、試合に出れないって事は、やはり残念ではありましたが。

 

その後、私たちの高校は国体も花園も予選で敗れてしまいましたが、

3年間ずっと最後までクラブをやり遂げた事は大切にしたいと思っています。

太ももがコオロギのような足になってしまいましたが、

あの頃、毎日、ラグビーボールを追いかけていた事を今でも思い出します。